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部活に励んだ青春時代の罪悪感

今週のお題「部活」
 
部活...と聞くとスポーツをイメージしますが、インドア(吹奏楽や美術)もありますよね。
ですが今回はスポーツの部活について書いていきます。
 
父親譲りの運動神経
 
父はゴルフ・野球・テニス・フルマラソンとあらゆるスポーツをしていました。
その遺伝か私もスポーツは基本、なんでもできます。
中でも球技が得意で、小学校時代はソフトボールのチームに所属していました。
 
そんな小学校時代に父親の職場でテニスの練習を一緒にしていました。
これが将来私の青春を染める部活へとなりました。
 
中学校で初めての部活
 
ソフトボールを一緒にしていた友達は半分半分で、ソフトボール部とテニス部へ分かれることになりました。
 
特に相談などしていませんが、それぞれが自身で選んだ選択です。
私はテニス部を選びました。
 
休みの日も含めて、毎日これだけの運動をした時期はないです。
父親とラケットを選びにスポーツ店へ行き、初めてのラケット。
初めてのユニホームを着た時はとてもうれしかったのを覚えています。
 
部活中の事故
 
1年生はボール拾いにいそしみます。
ネット越しでボール拾っていた時、事件がおきました。
先輩が打ったスマッシュが、ボールを拾って起き上がろうとした私の顔面へ直撃しました。
 
痛みに強い私ですが、ものすごく痛くてコート端でしゃがみこみました。
直撃したのは眼球です。
ノーバウンドの至近距離。言うまでもなくそのまま病院へ行くことに...
 
普段子どもには使用しない強い目薬を処方され、数週間後には網膜の一部が破れてしまいました。
レーザーで破れた箇所を繋げる手術しました。後にも先にも『手術』と呼ばれる体験をしたのはこれだけです。※2019年9月現在
 
網膜の破れ...と聞くと恐ろしいですが、特に痛みはなく、
視界に黒い部分が現れます。光がもれて見えない箇所ができる現象です。
 
 
事故を乗り越えての活躍
 
テニスのダブルスでは、前衛(前に出る人)・後衛(後ろにいる人)に分かれます。
私は「次にボールが当たったら後がないよ」と言われていたため、後衛しか選択肢がありませんでした。
 
性格的にも、前で決め手を打つより、後ろでロングショットで決める方が好きでした。
 
小学校からの経験もあり、初めから打てていた私は1番手をもらうことができました。
3年生が卒業したのち、私はキャプテンとして部を任されることに。
 
1番手後衛キャプテンとして3年間過ごしました。
 
残る罪の意識1
 
キャプテンは1年生~3年生部員全員の投票で決まりました。
1番票数の多い人がキャプテン。その他票数があった人全員が副キャプテンになります。
 
後の話では副キャプテンの方が票数が多かった事実をがありました。結局先生の推薦が強く、私がキャプテンになりました。
 
キャプテン1人と票数の入ったメンバー2人が副キャプテンになりました。
結局、副キャプテンが私にキャプテンを譲ってくれたようなものです。
 
当時キャプテンをやりたかった私にとっては良かった出来事ですが、
今副キャプテンの気持ちを考えると罪悪感でいっぱいです。
 
残る罪の意識2
 
今は大人になって少しマシになりましたが、『根を詰める』性格です。
『これ』というものがあると、必死になりそればかり考えます。
トイレや食事をすることすら忘れることが多々あります。
 
1年生の夏、夏季大会がありました。2日間に渡って行われる大きな大会です。
大会はトーナメント形式で行われます。1日目に私は試合を勝ち進みました。
 
必死になった私は試合に出ていない時間もラケットを振り練習していました。
炎天下の中、1日中必死で動き回っていたのです。
 
翌朝、無理が来て39度の高熱を出してしまいました。
勝ち進んだ大会をまさかの棄権です。
スポーツ選手ならあり得ない失態です。
 
その時の私はなぜこうなったのかわかっていなかったため、
「熱があるんだし試合に出れないのは仕方ないな」くらいにしか思っていませんでした。
 
棄権して1番迷惑をかけたのはペアの相手です。
私は違う人と組んで出れるものだと思っていました。
試合に登録したメンバーは代えられない(代わりがいない)のです。
 
それも今になってわかったことです。
当時の私は試合を棄権したことを何とも思っていませんでした。
また別の試合があるし...くらいの感覚です。
 
未だに謝罪もできていません。今は申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 
 
その後
 
2年生になった大会では、途中敗退。上位8組(ベスト8)のみが次の大会へ進めます。
そして3年生、最後の大会です。
 
突然のペアチェンジがありました。
先生からのメンバーチェンジという感覚で伝えられましたが、おそらく私のペアの子が先生に相談したのだと思っています。(定かではありません)
 
私はダブル後衛を組みました。
通常、前衛と後衛で組むダブルスですが、メンバーの組み合わせがうまくいかなかったのでしょうか?もう一人の副キャプテンとダブル後衛を組むことになりました。
 
結果、私たちペアは夏季大会で別と8をとり、次の大会へ進出しました。
また、別の大会では準優勝まで行くことができました。
3組が一緒に戦う団体戦では優勝をとりました。
 
今思うと長かった3年間。たくさんの事がありました。
私の新しいペアはそのまま高校でもテニスを続けました。
 
そんな私はあっさりとテニスを辞めました。
高校でも続けなかったことに一番ショックを受けていたのは、親でもなく、
顧問でもなく、なぜか担任の先生でした。
 
元々スポーツは好きですが、楽しんでしたいというのが大前提にあります。
今はゴルフを楽しんでいます。
 
 
最後に
 
最後までご覧いただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
 
思春期に抱え込んだ罪悪感ですが、いまだに誰かに話したことはありません。
ブログという力を借りて吐き出してみました。
 
学生の部活の中には、「試合に勝ちたい、プロになりたい」と、言う思いもあれば、「なんとなく入った」という子もいるかもしれません。
 
全員がプロを目指して所属しているチームとは大きな違いです。
単体で戦う競技ではあまり関係ありませんが、団体で戦う競技だとその気持ちの差で大きな差が出ます。
 
チームメイトでたくさんコミュニケーションをとって、気持ちをうやむやなまま終わらないよう、青春を過ごしていただきです。