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コロナウィルスによって奪われた日本の宝「志村けん」

昨今の社会情勢
昨今、日本を含む世界で、騒がせている「コロナウィルス」
数々の命を奪って、その魔の手は芸能界にまで及びました。
 
3月29日午後11時10分。大御所芸能人の志村けんさんが、「コロナウィルス」による肺炎でお亡くなりになりました。
 
日本中に衝撃を与え、今でも「志村ロス」が続いています。
 
「親戚のおじさんがなくなった衝撃」と、話題になっていますが、
実際には父のような、祖父のような深い悲しみの方が多いと思います。
 
みなさんと同じように私もその一人です。
 
 
 
リアリティなコント
 
毎週楽しみに見て、ドリフターズは特番で見る、という我が家の定番。
 
『ドリフの大爆笑』がある日は、早めにお風呂に入ってご飯を食べる。
という決まりがありました。
私たち三姉妹がテレビに夢中になるからです。
 
わたしの記憶にくっきり残っているのは、『貧乏コント』。
タイトルや内容までしっかりとは覚えていませんが、家がなく押し車を押して生活する。
というコントです。
 
こういう人が世の中にいるのか。と幼いながら衝撃を受けました。
平成初期。さすがにそのような人はいなかったと思いますが、強く印象に残っています。
 
母が毎日家計簿をつけては「お金がない」と漏らしていたため、
私もいつかおうちがなくなるかもしれない。と思い、数百円の入った貯金箱を泣きながら母に渡したことがあります。
 
コントでありながら、リアリティのある『作り』に素晴らしいものがありました。
 
 
幼少期の記憶
「芸能人が亡くなって、初めて泣いた」という方が多く、私もその一人です。
芸能人の訃報はもちろん衝撃を受けますが、どこかでやっぱり遠い人。
 
向こうはこっちを知らないし、画面で見ても実際に見たことがない。
多くの芸能人はそういう存在です。
 
今回、コロナウィルスという未知のウィルスが原因だったことも1つだと思いますが、
それよりも『志村けん』を身近に感じていたことが1番だと思います。
 
さいころに聞いた、母の子守歌。
父と遊んで楽しかった経験。
 
そんな幼少期の思い出に、『志村けん』の存在があるのではないかと思います。
たくさん笑って、いつの間にか当たり前に聞く声。
声だけでも『志村けん』とわかる。
 
さいころに残る記憶は、忘れていても強く残っているのだと感じました。
その心地よさは、大人になっても変わらないのでしょう。
 
 
 最後に
役者業に力を入れ始め、主演映画や聖火ランナーも決まっていたということ。
コロナウィルスさえなければ今も元気なお姿を拝見できたかと思うと、
本当にやり切れない気持ちでいっぱいです。
 
もう誰の命も奪わないでほしい。
切に願います。
 
 
志村けんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。